袴能の今日的意味とその可能性 (平成14年)

2015年5月1日 宝生流 近藤乾之師がご逝去されました。 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 現在更新を停止しているこのブログは、通信大学で学んでいるあいだ芸術について私的に綴っているものでした。 平成14年、近藤乾之助師の『山姥』を拝見し、それまで自分が観ていた広義の上演芸術の概念を超えるものとして、その余りの素晴らしさに…
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無名性は芸術か?(「柳宗悦の民藝と巨匠たち」展)

もう、半月ほど前になるが、京都文化博物館で「柳宗悦の民藝と巨匠たち」展を見た。 観終わった後の、割り切れない感じ、気持の悪さ…は一体何だろうか。 芸術性を伝達する事の難しさを痛感するとともに、芸術性の本質はどこにあるのかを考えてしまった。 展示作品はそれなりに見応えのあるものが多かったが、キャプション解説は当時発表された民藝の…
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光とイメージの痕跡(「杉本博司-時間の終わり」展)

新年明けて、「杉本博司-時間の終わり」展最終日の夜、ようやく見に行くことができた。 (最終日なので、会場には御本人の姿も)                 <観念の形> 「曲線のエロス(2005/09/02のブログ)」にも書いた通り、ねじれていく様な割り切れない曲線が好きなので、この作品群は本当に美しかった。 ただし、眼…
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京都の雪から思うこと(リアルな装飾)

ブログ更新がすっかり御無沙汰になってしまった。 今回は、少し前に京都で見た雪から思い付いたことをつらつらと。 18日の京都は、朝から青空が見え太陽が輝いているにも関わらず、 粉雪が舞い散っていた。 東京では雪が水っぽく重い為、粉雪でも風に舞い上がるという事が無い。 「雪が舞う」という表現そのものの景色を、東京に住む私は初め…
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観能・観劇記で「脱・評価」は、難しい(秋の観能記)

このブログを始めるきっかけは、能を観て感じた不思議な事を書きとどめておきたいと思ったから。(手違いで3日で削除されてしまったが…) 夏以降、私は素晴らしい能をいくつも拝見する機会を得た。しかし、それらの内一つしかこのページに書き残す事ができていない。 なぜか。それは、私が観能や観劇(文楽)を記す際、「脱・評価」という事を意識している…
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視覚を意識しない極上の暗闇(ダイアログ・イン・ザ・ダーク)

「日本におけるドイツ年」を記念して旧自治大学で行われていたD-HOUS(ドイツの見本市みたいなもの)内で、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が開催された。 『「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、1989年にドイツのアンドレアスハイネッケ博士のアイデアで生まれ、その後16年間の間にヨーロッパを中心に17カ国100都市で開催され200万人以…
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作品を鑑賞するということ

最近、ゆっくり展覧会を観ることができない。 平日は働いているので、展覧会へは週末に行くことになるのだが、「モロー」「紫式部日記」「プラート」を1日で観たし、奈良の「正倉院」+「興福寺」で2時間、点数の多い「北斎」も2時間で「光琳」は1時間という始末。 ちょっと、「観なければいけない」という強迫観念になっている。 私の場合、観る…
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