視覚を意識しない極上の暗闇(ダイアログ・イン・ザ・ダーク)

「日本におけるドイツ年」を記念して旧自治大学で行われていたD-HOUS(ドイツの見本市みたいなもの)内で、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が開催された。
『「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、1989年にドイツのアンドレアスハイネッケ博士のアイデアで生まれ、その後16年間の間にヨーロッパを中心に17カ国100都市で開催され200万人以上が体験した』(配布リーフレット解説より抜粋)というプログラム。現在、日本ではNPO団体が設立され、常設化を目指している。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク公式サイト
http://www.dialoginthedark.com/

さて、本題。ただし、ここでは体験した内容は詳しく語らない。(知らない方は後のお楽しみ)なので、言い方が回りくどかったり一部わかりにくい可能性があるかもしれないが、それは御容赦のほどを。
入る前の説明で「極上の暗闇を御用意しています」とスタッフの方から説明があった。アテンドと呼ばれる視覚障害者の案内で数人がグループを組み、この極上の暗闇へ入るのだ。中に入ると、本当に真っ暗だ。ただし、単なる真っ暗闇というだけなら、今迄も何度か経験はある。善光寺や清水寺の「胎内めぐり」や、養老天命反転地の「切り閉じの間」「地霊」なども暗闇としては上ランクなのだ。ただし、それらの闇の質は「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の対極にあると言って良いだろう。

「胎内めぐり」はその本質が仏教の教えを説くことにあるので、先が一切見えない暗闇は無知な人間の人生の象徴だ。暗闇の中を不安気に歩いていくと、仏教の象徴である何かに出会い、ほっと安心するのである。それはまさしく「仏の教えに出会った瞬間」を演出している。「切り閉じの間」や「地霊」も、終着点を演出するという意味では、それに近い。
一方、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の暗闇は、視覚を自覚しない本当の暗闇だ。寝る直前、暗闇で更に目を瞑った状態にある時、闇を視覚的に「黒くて何も見えない状態」と意識するだろうか。「黒くて何も見えない状態」と意識したら、もう眠ることはできなくなり、次の瞬間には目を開けてしまうことがほとんどだろう。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の暗闇は、目を開けているにも関わらず、眠る直前の様な視覚的に闇を意識することが無い極上の暗闇なのだ。
視覚が阻害されることに対する不安は、アテンドの案内と杖と事前の説明でクリアできる様プログラムが組まれている。ただし、私の場合はよく目を瞑って道を歩くので、他の方とはちょっと事情が違ったかもしれない。(夏の眩しい光が苦手なため、通い慣れた道の場合はほとんど目を瞑り光だけを感じる薄目で歩く)
最初から視覚の必要性すら感じない位、暗闇がしっくりと馴染んでいた。

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の様に馴染む闇と「胎内めぐり」の様に馴染まない闇、その違いは闇以外のところにある。たぶん、人間は情報を遮断されることで不安を感じるのだ。
「胎内めぐり」の闇は、五感の視覚以外の感覚もほとんど無きに等しい。実際には、壁がすぐ脇にあったり、他人の「コワイ~~」という声が聞こえているので、情報は遮断されてはいないのだが、通勤電車と同じで「コワイ~~」の声はコミュニケーションできないBGMでしかなく、直接自分に関わる情報ではない。壁は、逆に唯一の情報源となり、集中する依存はより不安を増幅させる。(壁が途切れたり壁を見失うことへの恐怖)
一方「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」では、触覚を拡張する杖によって、視覚の様に距離が存在する物の情報を得ることができる。また、グループで廻るため、誰かの声や言葉はコミュニケーション可能な情報として認識できる。その時点で、その暗闇は人間が不安になる程の情報遮断では無いことになる。こうなると、闇の中の視覚は不要な感覚として自然的に自覚が薄れてくるのだ。三半規管が弱い私は、バランス感覚を取る行為のみ、視覚の依存度を自覚することになったが…(笑)
視覚を意識しない感覚というのは不思議なもので、たった50分程度のことでもすぐに体に馴染んでバランスが取れてくる。「見えないから音や触覚に敏感になる」とか、「触ることで視覚イメージを想像する」とか、そいういうこととは全く違う。闇の中で(闇すら感じない状態で)視覚以外の感覚が、視覚がある時とは別のバランスで顕われてくるのだ。

ここまで、良いことばかりを書いてきたが、問題が無い訳ではない。グループ内のコミュニケーションを計るのが前提のため、アテンドが妙にフレンドリーで親切過ぎる程なのだ。初めて体験するには不安も除かれとても良いのだが、リピーターだとちょっとツライかもしれない。もちろん、「アテンドの個性やそのパフォーマンスも楽しむ」ということもできるが、それではディズニーランドで川下りしているのとそうと違わなくなってしまう。
また、顔が見えない匿名状態で作り出されたフレンドリー感覚は、明るい所に出ると機能しない。それぞれの顔が見えた瞬間に皆がよそよそしくなり、中ではあんなに楽しく話しをしていたのに…と思う間もなく、無言で解散となってしまった。暗闇でもコミュニケーションはネットの様に一種匿名的でもあるので、リアルな関係とは違うのかもしれない。

今後、常設を目指してNPO団体が活動を行っているということなので、希望を持っていることがある。「視覚を自覚しなくなる極上の暗闇を、絵画や作品を観る様に自分本意で自由に楽しみたい!」ということだ。
ぜひとも、リピーター用に暗闇が楽しめるプログラムを考えて欲しい。暗闇が危険だというのは分っているが、アテンドからの案内が少ないものとか、数回体験すると(試験が受かると)アテンド無しでも体験可能とか、自分の感覚で暗闇の中を動けるものが良い。
「ダイアログ」という言葉は「対話的に設定できるウインドウ」という意味にもなるのだから、暗闇に自由にアクセスできる道を、ぜひとも開いて欲しい!